〈悪の凡庸さ〉を問い直す

・結論。すべてを個人のせいにはできないし、すべてを社会や組織のせいにもできない。詳しい話をする前に(ご存知とは思いますが自分自身のために)、用語の解説をします。

❶ミルグラム実験
1961年、イェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラムによって行われた実験。「アイヒマン実験」とも呼ばれ、権威者による命令が個人をどこまで従属させるか、殺人のような重大な結果をもたらし得るのかをシミュレーションした。

実験の概要:
・被験者は「教師」と「生徒」に分かれペアになる。生徒役の学習と罰の効果を測定するものだと説明されているが、実際の被験者は教師役の方で、生徒役はすべて役者を採用している。

・全員で「罰」の電気ショックを体験した後、教師役と生徒役は別室に分かれ、お互いの声はインターフォンを通してのみ、聞こえる状態にする。

・生徒がテストで間違えるたびに、教師は電気ショックを与える。回数に応じて、15ボルトずつ強度を上げていく。実際には生徒役に電気は流れないが、かわりに事前に録音した苦痛を表す声や悲鳴を教師役に流す。

・被験者=教師役が実験の続行を拒否しようとすると、白衣を着た権威のある(ように見える)男性が、感情を出さない声で続行を命じる。4回命じられても教師役が拒否した場合は中止。

・当初の予想では、最大出力にする被験者は少ないと思われていたが40人中16人が続行、また12人は最大出力までスイッチを入れた。

1960年はアルゼンチンに亡命していたアイヒマンが見つかり、いわゆる「アイヒマン裁判」が開始された年であり、世間的な注目が高かった。東欧地域のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアイヒマンはどれだけ「残酷な」人間であったのか、世界が注目していた。
ミルグラム実験を通して「平凡な人間でも権威ある存在に命令されれば残虐なことをする」というイメージが広まった

❷アイヒマン裁判
実際に裁判が行われてみると、アイヒマンは一貫していかに自分が矮小な存在であるかを証言した。ただ目の前の「仕事」に真面目に取り組んだだけ、という印象を付けた。裁判に立ち会ったハンナ・アーレントも「小悪党」だったと表現している。

ただ、アルゼンチンに亡命中、アイヒマンは熱心に「仕事」の話を周囲にしていた記録が残っている。反ユダヤ主義について臆面もなく持論を展開していたらしい。

……という事実を踏まえたうえで、アイヒマンは本当にただの凡人で、自分に任された範囲の仕事をしていた「だけ」なんだろうかと問い直したのが本作だった。

・アイヒマンは記録から見るに、心底、生粋の、反ユダヤ主義者だった。その時点で、ただ職務を全うしていただけとは言えないほどに。けれど彼はドイツ軍の出世街道から一度外れている。元々ユダヤ人の移送にかかわっていた彼は、ドイツ領からユダヤ人を追放する「マイスター(専門家)」とまで言われたが、周辺諸国がユダヤ人の受け入れを拒否すると、成果をあげられなくなった。

アイヒマンに再び光が当たったのは、ユダヤ人を絶滅収容所に移送するプロジェクトの中枢に任命されたときだった。任命から2年間で、アイヒマンは500万人を収容所送りにした。

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・たしかに、反ユダヤ主義の個人だけでは、ここまで大きな「プロジェクト」を遂行できなかったと思う。けれど、あくまで組織の末端でしたというには、アイヒマンは仕事に自信を持っていたし、周りにも自慢していた。

これを現代の、もっと小さな組織に置き換えたらどうなるんだろう。組織としての方針がそもそも間違っていることを、エコーチェンバーなのか同調圧力なのか、誰も指摘できないとか。ある程度の決定権を持った存在が、自分の出世や自身のために非人道的な行為を喜んでおこなうとか。

わたし自身も何度か覚えがあるけど、個人として話している分には会話が成立するのに、集団の一部になった途端、「それがルールだから」「昔からしていることだから」と、世間や世界においては通用しないような、常識外がまかり通る場面はたくさんある。
それって、個人としてなにができるんだろう。
組織を運営する立場になったとき、何に気を付けたらいいんだろう。

・文系は実学(すぐに役に立って利益を生む)的ではないと言われるけど、こういうのを考える時こそ、文系の出番だと思う。歴史はそういう意味で、ありとあらゆる失敗例の宝庫だ。
一人だけに決定権を集めてはいけない。
ずっと同じ人に任せてはいけない。
NOと言える組織。
あれは間違った判断だったと認められる上層部。

人間は3人集まるとパブリックな集団になると思っているので、この辺はずっと考えていきたいテーマです。